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ブラック ドットは常に0時

「宇宙論」で展開したブラック ドット理論。第13で論じた空間(S)と時間(t)の同一性。式で表せばS=t 。ブラック ドットは大きさを持たない。同じことだが勿論空間も無い。Sが0ならば t も0。ブラック ドットは常に0時(便宜上)なのである。
 星雲同士が離れる現象を終えた瞬間に宇宙空間は縮小過程に入る。勿論其の時は人類は疾うに無くなっているだろうが。人類生存の時期の縮小過程を人間が認識する事は絶対に有り得ない。
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宇宙論の第13「空間と時間の同一性」

宇宙論の第13「空間と時間の同一性」は未完である。例えばブラック ドットの常に0時の理論。そして宇宙空間は必ずブラック ドットに引き戻される。詰まり0時に向かう理論には触れていない。
 続編の宇宙論で更に掘り下げたいと考えている。しかしコヴィットが漸く収束に向かっている今、私は音楽の作業と訓練に戻らなければならない。更に原稿用紙500枚を超える小説の再考と校正も滞ったままである。
 私に残された(概念としての)時間で終えることが出来るだろうか。

宇宙論 山﨑賢一郎著

先日、宇宙についての論文を書き上げた。タイトルは「宇宙論」当初は無料配布する目的で冊子のかたちで制作する積もりでいたが、出版社の友人と話を進めるうちに文庫本として上梓する事となった


「宇宙論」山﨑賢一郎著
郵研社
初版発行は2023年3月6日
定価500円

ミナミジサイチョウの冒険

「鳥籠が鳥を探しにゆく」ユダヤの作家カフカの奇妙な言葉。7人の捕獲者(又は巨大な鳥籠)が巨大な怪鳥を探しにゆく。ミナミジさんは果たして今回の逃亡で束の間の自由を満喫出来たのだろうか?あるいは自由と引き換えに大変な思いをしたのだろうか?慣れない国の見知らぬ土地での食料の調達にはさぞかし苦労を強いられたであろう。此の国のでかい野良猫なぞと遭遇したりはしなかっただろうか。無事捕獲され、今頃巨大な鳥籠の中で安心と疲労に塗れて眠りについているだろうか。
鳥は鳥である限り鳥籠の方からやって来る。私たち人間は居心地の良さそうな鳥籠を懸命に探し続けている。だが必ず失敗に終わる。そして拒否される。人は人である限りこちらから出向かなくても、その人に合った鳥籠が向こうからやって来る。
今日も「鳥籠が鳥を探しにゆく」

空間、時間、劣化

アインシュタインの相対論。面倒だから結論から書こう。何故彼は空間と時間を分けて考えたのか?私にはどうしても解せない。ビックバンの仮説を待つまでもなく、時間と空間は全く同じもの。別々の単位、別々の方法で表現したに過ぎない。空間は時間を別の単位で表現したものであり、時間は空間を他の単位で表現したに過ぎない。詰まり物質と時間は全く同じものである。どうしてアインシュタインは其処に気づかなかったのか。
重要なのは空間と時間を同じ単位で統一する理論だ。宇宙は時間であり時間は宇宙でもある。目の前にある石ころを時間といっても良い。人間、例えば私は肉体であると同時に時間なのである。

私は時間の存在そのものに疑問を持つ。時間とは変容、変化、劣化に過ぎないのでは無いかと、

少々疲れた、
続きは後日。
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